補習校の歩み

1. 設立の経緯
コロンバス日本語補習校が開校する契機となったのは、1979年にオハイオ州政府がコロンバス郊外約30マイルにあるメアリスビル市に、日本の本田技研の工場を誘致したことであった。 工場建設に伴い、日本人家族の赴任も増え、本田技研の駐在者の子女補習が必要ということで、本田技研総務担当の岩本氏が、当時コロンバス在住の、日本及びシカゴ日本語補習校で教職経験のあった矢島氏の奥様(矢島氏は当時オハイオ州立大学の教授)に子供たちの日本語学習についてお願いしたところ、快諾いただいたことに始まる。
こうして、矢島宅地下室において、午前中、低・高学年の二つに分かれ(小学生のみ12人)国語と算数の学習が始まった。これがコロンバス日本語補習校の始まりである。
その後、生徒数の増加と講師の増員に合わせ、コロンバス商工会議所の邦子=ウェーバー氏の協力も得て、1980年4月に市の北部にあるセイラム=バプティスト教会を借用し、学校を開くことができた。
この時、児童数33名(うち中学生4名)であった。
新しくコロンバスにやってくる人々にとって、子供たちの日本語力維持の場があるかどうかは大きな関心事であり、当校の開校により、新任地での不安材料の一つを解消することができた。また、コロンバスとその周辺にそれまでに滞在していた人々にとっても、子供たちの生活言語から徐々に薄れいく日本語を維持できるものとして、大きな期待を持った。
教会に学校を移したのを機に、オハイオ経済開発局も、学校法人登記については積極的に支持し、国税歳入庁より非営利法人としての免税措置も承認された。しかし、土曜日だけ借用する教会の部屋は、信者の幼児の遊び場所として使用され、土曜日毎に机、いす等を運び込み、授業が終わるとそれをまた運び出し、また、翌日のミサのことを考え、使用後の清掃は特に気を使う必要があった。これらを、すべて保護者がボランティア活動で行ってきた。
しかしながら、まともな黒板もなく教材や本も思うように置けないといった事情で、教室として使用するには限界があり、その後の児童数の増加や教会との日程調整等もあって、土曜日の授業に支障をきたすようになってきた。折しも、当初お世話いただいた岩本氏が帰国し、また矢島氏も帰国することになり、教会側からも施設が傷むとのクレ-ムがあり、 1981年秋より移転先の候補地探しが始まった。この時、オハイオ州立大学教授の幸泉先生や保護者の宝田氏の世話で、コロンバス市に隣接するワ-ジントン市教育委員会の協力を得ることができ、同市市立中学校の教室四室を土曜日のみ借用できることとなった。1981年11月、当校はワ-ジントンの中学校に移転し、初めて机・いす・黒板等の揃った学校で勉強できるようになった。子供たちの喜びは、大きなものであった。
それ以後、年々児童・生徒数が増え続け、1987年には、保護者からの強い要望もあり、高等部を開設した。さらにその後も児童・生徒数が増え続け、キルボ-ン校だけでは収容できにくくなり、小学部の分離を行った。エステ-ト小が借用でき、1988年9月にキルボ-ン校との2校体制となった。
その後1991年には、中高等部のあるキルボーン校が教育委員会施設へ移管されることになり、新借用校舎をワージントン市教育委員会と協議していたが、小学部はグランビー小、中高等部はマッコード中の隣接する二校の借用が可能となった。同年8月の2学期開始と同時に借用校舎を移転した。その後1995年9月に、 小学部はブルックサイド小、中高等部はペリー中に移転した。 1998年、校舎借用に対してワージントン市教育委員会が難色を示したが、交渉の末、4年サイクルの移転を条件に、借用校舎の提示を受けた。
1999年4月から、小学部はワージントンエステート小、中高等部はワージングウェー中、2003年4月から、小学部はグランビー小、中高等部はマッコード中を借用している。
2005年からは当分の間、小学部はグランビー小、中高等部はマッコード中を継続借用できるようになった。

2. 組織図沿革及び生徒・学級数の推移

3. 歴代学校運営委員長および校長、副校長一覧

歴代学校運営委員長
初代 佐藤 悠爾 (1980. 4 ~ 1983. 3)
2代 宮野 雄行 (1983. 4 ~ 1986. 3)
3代 見田 龍彦 (1986. 4 ~ 1991. 3)
4代 笠井 昭夫 (1992. 4 ~ 1994. 3)
5代 小杉 正孝 (1994. 4 ~ 1995. 8)
6代 橋元 宏 (1995. 9 ~ 1998. 3)
7代 松崎 雄治 (1998. 4 ~ 2000. 3)
8代 寺尾 克志 (2000. 4 ~ 2002. 3)
9代 松崎 雄治 (2002. 4 ~ 2003. 3)
10代 大森 博之 (2003. 4 ~ 2005. 3)
11代 高倉 真 (2005. 4 ~ 2005.10)
12代 花城 規之 (2005.11 ~ 2007. 3)
13代 高橋 登 (2007. 4 ~ 2009. 3)
14代 西東 竜也 (2009. 4 ~ 2011. 3)
15代 井上 辰也 (2011. 4 ~ 2013. 3)
16代 坂本 次郎 (2013. 4 ~ 2015. 3)
17代 増村 弘一 (2015. 4 ~ 2016. 3)
18代 星合 健 (2016. 4 ~ 現 在)
歴代校長
初代 矢島 延子 (1980. 4 ~ 1981.10)
「元 オハイオ州立大学教授夫人」
2代 幸泉 哲紀 (1981.11 ~ 1987. 3)
「元 オハイオ州立大学教授」
3代 田中 穂積 (1987. 4 ~ 1989. 3)
「初代 文部省派遣教員」
4代 名倉 俊彦 (1989. 4 ~ 1992. 3)
「2代 文部省派遣教員」
5代 鈴木 恒雄 (1992. 4 ~ 1995. 3)
「3代 文部省派遣教員」
6代 佐々木 豊 (1995. 4 ~ 1998. 3)
「4代 文部省派遣教員」
7代 草野 惣代高 (1998. 4 ~ 2001. 3)
「5代 文部省派遣教員」
8代 中村 和則 (2001. 4 ~ 2004. 3)
「6代 文部科学省派遣教員」
9代 末永 和彦 (2004. 4 ~ 2006. 3)
「7代 文部科学省派遣教員」
10代 畠山 康彦 (2006. 4 ~ 2009. 3)
「8代 文部科学省派遣教員」
11代 浅井 克悦 (2009. 4 ~ 2011. 3)
「9代 文部科学省派遣教員」
12代 田幸  徹 (2011. 4 ~ 2013. 3)
「10代 文部科学省派遣教員」
13代 上田 龍之 (2013. 4 ~ 2016. 3)
「11代 文部科学省派遣教員」
14代 藤井 良一 (2016. 4 ~ 現 在)
「現在 文部科学省派遣教員」
歴代副校長
初代 生駒 正美 (1986. 1 ~ 1986. 3)
「専任教員」
2代 田中 穂積 (1986. 4 ~ 1987. 3)
「初代 文部省派遣教員」
3代 池田 亘宏 (1990. 4 ~ 1993. 3)
「2代 文部省派遣教員」
4代 岩田 敏彦 (1993. 4 ~ 1996. 3)
「3代 文部省派遣教員」
5代 田川 暁 (1996. 4 ~ 1999. 3)
「4代 文部省派遣教員」
6代 金田 昌之 (1999. 4 ~ 2002. 3)
「5代 文部省派遣教員」
7代 大橋 宏朗 (2002. 4 ~ 2005. 3)
「6代 文部科学省派遣教員」
8代 寺河 俊紀 (2005. 4 ~ 2008. 3)
「7代 文部科学省派遣教員」
9代 中原 寛之 (2008. 4 ~ 2011. 3)
「8代 文部科学省派遣教員」
10代 石塚 義明 (2011. 4 ~ 2013. 3)
「9代 文部科学省派遣教員」
11代 藤岡 暁 (2013. 4 ~ 2015. 3)
「10代 文部科学省派遣教員」
12代 船曳 文洋 (2015. 4 ~ 現 在)
「現在 文部科学省派遣教員」

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